山形県スリッパ工業組合

履物のあゆみ

草履からスリッパまで

江戸期 古来粗雑な草履が農業の副産物に生産されていた。
文政年間 (1818~1829) 八代 田宮五右衛門が江戸から節草履製造の技術を導入。
天保年間 (1830~1840) 九代 田宮五右衛門も新産業の普及に尽くす。天保年間に江戸証人菱屋藤兵衛の指導斡旋を受く。
草履表編造業をもって賎業として来た古来の風習を打破し農業副業として立派に成立される。
明治13年 生産額約二万足 価格は11,460に達した。
明治14年 十二代 田宮五郎は草履表を下駄表に改良することを考案。
明治22年 履物(草履)表圧搾機を発明。下駄表の高級化をはかった。
農商務の特許を取得する。
明治23年 内国勧業博覧会に出品。入賞以来谷地草履表が山形草履表として全国的に名声を高める。
明治29年 西村山郡草履表同業組合設立。
昭和15年 草履表最盛期となる。
県総生産高の60%を占め河北町で 810万足、全県で2,500万足。
昭和23年 山形県草履指導所を新設。
昭和30年 以降 草履の需要は、生活様式の変化に伴い急激に減少し、昭和40年代はその姿を消す。
昭和25年代 一方下駄製造業面でも生活様式の変容に伴い、木製サンダル 製造が顕著になる。

木製サンダルの誕生

昭和25年代 一方下駄製造業面でも生活様式の変容に伴い、木製サンダル製造が顕著になる。
昭和26年 木製サンダルのファッション化のため、社会教育で塗装講習を実施する。

スリッパのあゆみ スリッパ産業が始まる。

昭和38年より 草履製造からスリッパ製造への転換が進む。 外に草履表製造業界の一部でタイル製造工場設立に資本投資経営参加もあった。
昭和48年 山形県スリッパ工業組合設立される。
河北を中心に尾花沢(1)、東根(1)天童(2)寒河江(2) 鮭川(1)宮城県(4)計33社。
昭和50年 産業廃棄物処理場契約 第1回
昭和57年 河北特別工場地区建築条例される。
地場産業として位置を明確された。
昭和60年 スリッパ製造後継者会発足
昭和63年 山形県スリッパ工業協同組合法人化成る。
室内履の全盛期を迎え国内産1億2000万足に達す。
内山形スリッパは全国の約30%を占める。
平成元年 スリッパ製造業産地診断の実施報告会開く。
平成2年 デザイン・ワークショップ事業に取り組む。
平成3年 以降 急速に輸入物のスリッパが拡大され、国内産に多大な打撃を与える。
平成5年 創造的発展組合集中指導事業実施。