Makerメーカー紹介

河北町は明治時代から草履表(ぞうりおもて)の一大生産地でしたが、時代の変化に伴いスリッパ産業へ変化し、昭和40年代にはスリッパ生産量日本一を誇る町になりました。
2014年以降、組合員が団結して「かほくスリッパ」のブランド化事業に取り組み、東京インターナショナル・ギフトショーに出展するなど、更なる品質の向上とPRに取り組んできました。これまでに培ってきた経験と技を生かして様々な生活シーンを想定し、最高の履き心地と耐久性を追求したものづくりに取り組んでおります。
近年では自宅に帰ったら室内履きに履き替える日本の生活文化が見直され初め、2020年には海外への輸出が始まりました。これを新たな時代の訪れと捉え、最高品質の「かほくスリッパ」を世界中の皆様にお届け出来るように取り組んで参ります。
- 組合長
- 阿部 弘俊
(阿部産業株式会社 代表取締役社長)
組合について
名称 | 山形県スリッパ工業組合 |
---|---|
設立日 | 昭和48年 |
事業内容 | 本組合は、組合員の企業経営向上と相互理解に基づく親睦に必要な事業を行うことを目的とする。 |
所在地 | 〒999-3511 山形県西村山郡河北町谷地字月山堂654-1 |
会員数 | 6社
|
メーカー
阿部産業株式会社

山形県河北町の地で大正時代から続く「地場産業」の担い手のひとりとして「いま」に至っています。これまでに培ってきた技術を基に、新しい素材やフォルム、それから人、それぞれの出会いにわくわくしながら「ものづくり」をしています。

〒999-3512
山形県西村山郡河北町谷地中央 3-3-2
TEL:0237-73-2141
FAX:0237-73-2110
有限会社タカナシスリッパ

製造業として『雛とべに花の里』河北の地に置いて、かほくスリッパの歴史を時代とともに繋いで来た、スリッパメーカーです。地元特産素材をはじめ素肌に優しい天然素材、耐久性に優れた国産素材を厳選し、河北町の特産品である「かほくスリッパ」の新商品開発に日々努力を重ねております。

〒999-3511
山形県西村山郡河北町谷地庚88
TEL:0237-72-2310
FAX:0237-72-2228
株式会社後藤

昭和32年創業のスリッパ総合メーカーです。「品質の良い、魅力のある、話題になる、すばらしい商品をお得意様に提供する」ことを社是に、お客様のニーズにお応えし、より良い商品作りを目指していきたいと思っております。

〒999-3511
山形県西村山郡河北町谷地字嶋263
TEL:0237-73-2355
FAX:0237-73-3898
河内スリッパ

草履からいち早くスリッパ製造を開始し、スリッパ生産量日本一の礎を築くとともに、長年培った技術と丁寧な仕事で時代のニーズに合った製品を提供しています。これからもみなさまの足下へ、夏は涼しく冬はぬくもりのあるスリッパをお届けして参ります。

〒991-0061
山形県西村山郡河北町谷地字砂田38
TEL:0237-73-4048
FAX:0237-73-3754
有限会社タキザワ

昭和45年に山形県の河北町に営業所を設けて以来、 生地・紙・その他様々な素材を裁断する、裁断専門工場として事業を展開しています。少人数の小さな会社ですが、お客様に対する誠意と、作業へのこだわりを目標として、日々努力を重ねています。

〒999-3511
山形県西村山郡河北町谷地字月山堂670-6
TEL:0237-72-2847
FAX:0237-72-2894
軽部草履株式会社

草履は祭りや職人、芸能界、相撲など日本にはなくてはならない履物です。軽部草履は日本の伝統を足元から支え、そして次世代に継承するため若手の育成にも尽力しております。今後も日本の草履が途絶える事の無いよう、軽部草履社員一同、努力と研鑽を重ねて参ります。

〒991-00561
山形県寒河江市中央工業団地51番地
TEL:0237-77-5322
FAX:0237-77-5323
賛助会員
最上運輸(株)河北営業所
〒999-3511 山形県西村山郡河北町谷地字真木223-1(株)細谷商店
〒990-0053 山形県山形市薬師町2-17-4三共木工(株)
〒999-3737 山形県東根市大字若木字七窪555-4ヒライ織物(株)
〒130-0021 東京都墨田区緑4丁目17-1
(株)吉田
〒990-0821 山形県山形市北町1-5-12(株)シラカワ山形営業所
〒990-0071 山形県山形市流通センター2-10-7(株)シーアンドピー
〒111-0023 東京都台東区橋場1-1-8 丸福ビル2階(株)ユニット
〒111-0032 東京都台東区浅草7-7-5
歴 史
江戸後期以前 | 古来より農業の副産物である藁草などを使った粗雑な草履(ぞうり)が作られていた。 |
---|---|
江戸後期(文政年間) | 現河北町谷地地区の名家・田宮家の「八代目・田宮五右衛門」が江戸から節草履製造の技術を導入する。 |
江戸後期(天保年間) | 「九代目・田宮五右衛門」も草履産業の普及に尽くし、 従来賤業とされてきた草履製造業が農業副業として立場を確立する。 |
明治22年 | 村役人であった「十二代目・田宮五郎」が草履表圧搾機を発明。生産量が飛躍的に伸びる。 |
明治23年 | 内国勧業博覧会で入賞以来、山形草履表として全国的に名声を高める。 |
昭和15年 | 草履表最盛期を迎え、県総生産高の60%を河北町産が占める。 |
昭和30年以降 | 生活様式の変化に伴い草履の需要が急激に減少する。 |
昭和38年より | 草履製造からスリッパ製造への転換が進む。 |
昭和48年 | 山形県スリッパ工業組合設立 |
昭和63年 | 室内履の全盛期を迎え国内生産数は1億2000万足に達し、 その内山形スリッパは全国生産量の約30%を占める。 |
平成3年以降 | 急速に輸入物のスリッパが拡大され、国内産に多大な打撃を受ける。 |
平成25年 | 「かほくスリッパ」ブランド化計画スタート。ロゴマーク策定。 |
令和2年 | 海外初輸出 |